そらまめの雑記

本などで学習した内容のアウトプット・好きな事や物・日々思ったことなどを書いています。

数字は最後の拠り所?

こんにちは、そらまめです。

 

今回は、「数字」について取り上げてみます。と言っても数学的な話ではないですよ~

数字は私たちの身の回りにあふれていますね。物の大きさや値段、あるいは会社の給料や売上等、ゲームやテストの成績もすべて「数字」で表現されます。この様な数字が使われる場面に共通しているのは、「万人が同じ物差しで客観的に比較をし、表現する必要がある」ということだと言えるでしょう。ここでのポイントは、「万人が同じ物差しで」ということです。つまり、数字というのは様々な人が「共通に」判断できるものである必要があります。逆にそれぞれの個人でしか表現できない事、例えば、感情やイメージは数字で表現できません。芸術家のやっていることは、ほとんど数字では表現できないと考えればさらに明白になるのではないでしょうか。

新しいアイデアを考えたり、日々の仕事で工夫する場合にも、数字で考えることは一つのオプションとして必ず出てきますが、「数字」というのは「万人に理解できる」=「アイデアとしては、斬新ではなく、陳腐なもの」となる可能性が高いということになりやすいです。例えば、何も工夫していない営業担当者が顧客に出せる魅力的なオプションは「値引き」しかありません。もちろん、顧客に製品やサービスを買ってもらうために、価格が重要な要素を占めることは間違いないですが、プラスαを提示することも重要になってきます。

同様の事で、会社が従業員のモチベーションを上げるためにとれるオプションが「給料を上げる」とか「手当てを増やす」などの金銭という「数字上の施策」というのは、実は「最も頭を使っていない」施策ということになります。もっとも、その施策すらしない企業も多々ありますが。

さらに、これらの事例の問題点は、「値引きにひかれて購入する客」や「高給のみにつられて入社する社員」といったような「狭い物差しで考える人」を呼び寄せてしまうことです。こうして「数字の罠」に落ちていくと、更に思考停止が加速していく事になります。

 

新しいアイデアを出したり、工夫を凝らして改善したりするための「頭の使い方」には大きく二通りの方向性があることがわかります。

一つ目は「決められた物差しを数字の上で上下させる」ことですが、これは極端に言うと「何の工夫もない、誰にでも思いつく陳腐な発想」ということができます。

二つ目は「他と比較できないような新しい物差し(評価基準)を新たに発見して定義してしまう」ことです。例えば、何らかの新しい商品を開発するのであれば、「使う楽しさ」や「見た目の美しさ」といったこれまでと異なる「ものさし」で勝負をかけ、なおかつ「客観性を確保するのが難しいこと」や「定量化することが難しいこと」を考えることで発想を膨らませるというのが、やわらかい頭の使い方ではないでしょうか。

みなさんも、数字に頼るのは最後の最後にして、その前に新しい物差しを定義できるかを考え、数字化するのが難しい方向から考えてみるとまた違った考え方が見るかるかもしれませんね。