そらまめの雑記

本などで学習した内容のアウトプット・好きな事や物・日々思ったことなどを書いています。

新しい常識?

こんにちは、そらまめです。

 

皆さんは、自分の理解できないものを見たときに、どのように反応しますか?

単純に言うと「相手を自分に合わさせる」つまり、相手の考え方を変えさせようとするか、「自分を相手に合わせる」つまり自分の考え方を根本から変えてしまうかの二通りになると思います。

このような状況が起きる例として「最近の若い者は・・・」とか「最近の新入社員は・・・」いう場合に多いかもしれません。

「大事な用件を、電話ではなくメールで言ってきた」

「会社の飲み会よりプライベートを優先する」

などなど、思い当たることがあるのではないでしょうか?

この様な時によくある反応は「けしからん、考え方を正してやる」と言うものです。ここにあるのは、「自分の考え方が絶対的に正しい」という前提です。だから、間違っているのは相手の方だというのが当然の結論になってしまいます。

様々な価値観というのが、時代とともに変化するもので、絶対的に正しい価値観とか間違っている価値観というのはほとんどないそうです。

「大事な用件を、メールでは失礼」という常識を例に考えると、ICTやスマートフォンの急速な普及によって、「メールで済むならメールで済ませて欲しい」という人がだいぶ多くなっているのではないでしょうか。むしろ「なんでわざわざ電話なんだ?」と考える人もおおいでしょう。この様な例が「常識が逆転」しつつある現象でしょう。

つまり、様々な時代の変化による人間の行動の変化でまだ主流になっていないことです。新しい常識の最先端ともいえるかもしれません。

ビジネスの場面で言えば、特殊な顧客や意見というものがあります。例えば、「想定していない使い方をした結果のクレーム」や「値段以上の期待をしていることによるクレーム」などが来た場合、つうじょうはこの様な「特殊な」顧客や意見は「非常識な少数派」として無視されます。

ところが、実はこの様なクレームの中に、アイデアの芽が隠れていることがあります。したがって、例えば次世代の新製品を開発するようなときは、「わがままな少数派」の意見が正しいという前提で、製品やこちらの発想を変えてみようというのが、新しいものや価値観を生み出すために必要な考え方ではないでしょうか。これも、新しい時代の最先端の先取りなのかもしれません。

重要なのは、「正しいか、間違っているか」という個々の選択肢の視点ではなく、「違う価値観を持ったら、結論が正反対になるのではないか」という「考え方」のレベルで物事を見るということです。

時代の変化は大抵の場合「特殊なケース」から始まります。この様な時に、いつまでも「自分の価値観を標準」と考えていると、変化に取り残されてしまいます。

もちろん、「時代の変化によっても揺るがない哲学」を持っていることは重要ですが、それに加えて柔軟に変化させられる考え方のバランスが重要です。

 

「間違っているのは自分ではないか?」という考え方がまさに「頭の柔らかさ」につながっていくと思います。