論理と感情のギャップ
こんにちは、そらまめです。
今回は論理と感情のギャップについて考えてみたいと思います。
論理と感情のギャップとはどういうこと?とお思いになると思いますが、日々の生活において引き起こす問題の結構な部分がこの論理と感情のギャップから起こることが多いのです。
つまり、論理的には正しい(理解できる)が、感情的に正しくない(理解できない)場合と、論理的に正しくない(理解できない)が、感情的には正しい(理解できる)場合の2パターンです。こういわれてみると、「なるほど」と思われることもあるのではないでしょうか?
なぜこのようなギャップが発生する?
それは、論理と感情を基にした判断では根本的に異なっていることがあるからです。
まず、論理的であるとは、「誰が聞いても話がつながっている」ということです。つまり必ず客観性が求められます。逆に「感情的である」というのは、「必ずしも万人にとってつながっていなくてもいい」、つまり必ずしも客観的でない主観の領域という事になりなす。
ギャップが発生するときの例で見てみると、まず、感情的に判断することの代表例として、ものごとを「好き嫌い」で決めることが挙げられます。好き嫌いというのは、当然人によって異なる主観的なものですね。「好きだからこれに決めた」というのは、個人の選択としては当然の事ですが、集団や組織の中では必ずしも通用する「論理」ではありません。
好き嫌いがはっきりする状況というのは、特定の「人」に対してというのが多いのではないでしょうか?例えば、会社の中で「(好きな)あの人が言うなら信用して彼の案を採用しよう」というのは、感情的な面では納得できても、論理的な意思決定とは言えません。したがって、「あの人の発言」のどこがどう良いのかを客観的な数字やデータで示さなければなりません。
逆に論理的には正しいが感情面で納得できないという例が、嫌いな人に正論を吐かれても受け入れられないといった状況が考えられます。もう一つの例として、「機嫌が良ければなんでもYes」だが、「機嫌が悪ければ何を頼まれてもNo」といった気分屋の判断も、客観的に説明できない意思決定の例と言えます。
このようなメカニズムによって、組織の活動等で「正しい意思決定をしたのに人が動かない」という事態が頻発します。「人が動く」には個人が感情面で納得することが必須条件になるのに、「正しい」意思決定とは、通常「論理的に正しい」ことを意味しているに過ぎないからです。
何らかの集団をコントロールするには?
その為にはこの、2つの領域(感情的には理解できるが、論理的に出来ない・論理的には理解できるが、感情的には出来ない)をうまく扱うことがキーポイントということになります。論理的に理解できても、感情的に理解できない時というのは、例えば大きな組織改革をするときに問題になります。会社統合の後に二つの会社のやり方を統一しようとする時などは「相手の会社のやり方に合わせる」というのは理屈の上で正しくても、感情面では素直には従いたくないものですから、こうした「反対派」を説得する場合には、あまりに論理をふりかざすのは逆効果になります。
大河ドラマの「真田丸」のなかにも、「人は理屈で固められると、心を閉ざす」という言葉が出てきます。まさにこの通りの事です。
逆に感情的には良くても、論理的には良くないパターンは、個人へ訴求する商品開発の意思決定をする場面では、必ずしも理詰めで検討した商品がヒットするとは限りませんから「集団の意思決定」をする場合でも、最後は感情が支配するという現実を踏まえた上での決定が必要になります。
最後に。
「集団の意思決定やルール作りは論理に基づく必要があるが、個人を動かすのは感情や心理である」という基本的原則が、時に様々な矛盾を引き起こします。これを十分に踏まえて柔らかい頭でバランスを取りながら行動するのが、特に組織で動く際に注意すべき点になると思います。