資産や知識は重荷になるときもある?
こんにちは、そらまめです。
今回は、資産や知識も時には重荷になることもある、というお話です。
どういうことなの?資産や知識はあった方がいいじゃん!と思われると思います。まあ、大抵の場合はそうですね。
有形資産・無形資産の場合
まずは、資産について考えてみましょう。
日本でも起こっていることですが、資産があるがゆえに命を狙われたり、家族が危険な目にあうなどの事もありますよね?後は、資産相続などで揉めたりという話もよく聞く話ではないでしょうか?この様な面は物理的資産の重荷になってしまう部分だと思います。
資産には、有形だけではなく無形なものもあります。地位や名声がそうですね。ネームバリューという言葉もありますね。
こちらの重荷になる部分はどうでしょう?
それは、名前を悪意ある企業や人に利用されてしまったり、有名であるがゆえに一般の人のように気軽に外出できないとか、行動をSNS等で取り上げられてしまう。酷いものになるとストーカー被害などですね。だいぶ生きにくそうですね~。
地位や名声の重荷になってしまう部分は他にもあります。それは、新しいことへの挑戦のハードルが上がってしまうということです。ある分野でそれなりの地位や名声を築いてしまうと、他人からの注目レベルも上がってしまい、失敗しずらくなってしまいます。これは、新しい挑戦の大きなマイナス点になってしまうとおもいます。
また、会社としても、名声が邪魔になってしまうパターンがあります。それは、ブランドを目当てに入社してくる人が多くなってきてしまう点です。そうなってくると、「起業家精神」は薄れ、会社としても守りに入っていく姿勢が強くなってしまいます。
この時点で、会社として挑戦する人材を求めてもなかなか難しくなってしまっているのではないでしょうか。
知識の場合
さて、今度は知識の場合です。これこそあればあるだけいいじゃない!と思われると思います。
例えば、一つの領域の専門家として地位を確立してしまった人は別の領域にチャレンジすることが難しくなります。なおかつ、自分の専門領域で新しい主張をする場合など、それまでの蓄積が大きすぎると、なかなかそこまで積み重ねてきたことと矛盾することを言ったりやったりすることが難しくなっていきます。なぜなら、それはある意味自己否定に繋がってしまうからです。
そういう場面ではむしろ、全くしがらみのない素人のほうが優位になることも十分に考えられます。これが知識の場合のジレンマです。
つまり、新しいことに挑戦したり、新しい知を生み出す場面においては、専門家が必ずしも有利とは限らないということです。「やわらかい思考」を生み出すためには知識は敵にも成り得ることは肝に銘じておく必要があると思います。